『阿弥陀経』に聞く 極難信の法から問われる信 藤場俊基

2014年12月5日

「阿弥陀さまというのは、信心のない人を救わない如来なのか」
在野の教学者として活躍する著者が、浄土真宗の門徒に親しみの深い『阿弥陀経』をとりあげ、親鸞がどう阿弥陀経を読み解いたかを問い、浄土真宗の信心と念仏を明らかにする。
「私たちは、いつも念仏もうすことにどれほどの意味や功徳があるのかということを問題にするわけですが、念仏したらどうなるかということは、実はそれほど大きな問題ではないのです。その方向に足を一歩踏み出したということが大切なのです。何も分からないまま「南無阿弥陀仏」とお念仏する。生涯を通してその歩みを続けていく。どこに行くか、どこまで行けるかということが問題なのでなくて、そういう道が目の前にあり、とにかく歩みが始まったということがすでに大きな利益なのです。」

目次
・親鸞の問題意識を考える
・『観経』における顕彰隠密の義
・『阿弥陀経』が説かれる背景
・「仏説」であることの根拠は何か
・お念仏するぐらいで、どうしてたすかるのか
・『阿弥陀経』を読む私の位置
・『阿弥陀経』を読む親鸞の視座
・『阿弥陀経』の一心について
・『阿弥陀経』の隠されたメッセージ
・如来は、信心獲得した人しか救わないか
・「極難信の法」の意味するもの
・信心なくば、いたずらごとか
・本願はどこに成就しているのか
・念仏は本願の現行である
・勢観房・念仏房は私である
・親鸞における龍樹の位置
・念仏者誕生の意味

著者略歴

藤場 俊基(ふじば としき)
一九五四年石川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、5年間三和銀行勤務。大谷専修学院修了、大谷大学大学院博士課程(真宗学専攻)満期退学。著書多数。

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