2018年8月9日
清沢満之の言葉は果たして親鸞の教えに接点を求めることはできるのか。「願に生きる」、「いのちに帰れ」、「事実に目覚めよ」といった言葉は、果たして親鸞の教えと言えるのか。死後はあるのか。輪廻はどう考えたらいいのか。現代社会の抱える問題に対して真宗はどう関われるのか。
現代の浄土真宗の教化の現場でいつの間にか「わかったこと」にされている課題を、真宗教学だけでなく、仏教学や哲学からの思索も加え、我々に改めて問い直す。
一、清沢満之と親鸞の接点を求めて
二、清沢満之の如来観
三、〈願に生きよ〉を問う
四、今いのちがあなたを生きている
五、仏のいのちと物質の領域
六、世から救われて世に生きる
七、死んだら終わりか
八、生死輪廻と往生浄土の教え
九、主体の死後存続の可能性
十、救済は仏心が業識体に露わとなる経験
十一、心は脳に納まるか
十二、信心は長生不死の神方
十三、清沢満之と本願の名号
十四、現代の不安と本願の念仏
土井 紀明(どい のりあき)
1945年岡山生まれ。津山高校在学中に仏教に惹かれ、大谷大学へ進学。同大学院中退後、真宗大谷派研修部補導、法務手伝い、インド・ブッダガヤ日本寺駐在僧、鹿児島県薩摩郡下甑村での在勤僧などを経て、尼崎市に家を借り聞法道場「念佛寺」をひらく。現在同寺(西宮市に移転)住職。
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