君は君の願いに生きていけ: 林暁宇師最後の説法 林暁宇

2015年7月22日

この世に何の希望もない真っ暗闇の暗黒の中に生きていたと思っていた著者だが、病弱の念仏者、赤祢貞子との出遇いから、初めて自分にも助かる世界があるんだという光明に遇うことができた。そこで同じように自分が助かって、そして、この私に遇った人が助かるような人間になりたいと発心する。暁烏敏の元で僧侶になり、一生を清貧の中で念仏一筋に生きた著者の今生最後の説法。

『「わが身が助かることもわかってないくせに、人を助けたいだと。この私を見ただけで、相手が助かるような人間になりたいなんて、なに言ってるのだ」と言われた。そう言われて当たり前です。でも、私は本当にそう思ったのです。みんなから叩かれた。ところが、叩かないのは、暁烏先生一人。何かあるごとに、「君は君の願いに生きていけ」とおっしゃった。
自分が助かることによって、この私に遇ったものが助かる。そういう人に私はなりたい。その願いに生きていけと。のぼせているとか思い上がりとか、高慢だとかおっしゃらないのです。そりゃあ先生だって、私が言うことはのぼせているとわかっていらっしゃると思います。ところがのぼせているとは言われないのです。のぼせてはいても、その本当の底にある願いというのは、決して私がのぼせたために起こしたものではない。如来によってその願いを起こさしめられているのだ。だから、その思い上がりのために、これからどこへ行って、どれだけ頭叩かれて、どんなことに出遇うかもしれないけれど、それをやれ!一筋にその願いに生きていけ!と言って下さったのです。』

林 暁宇(はやし ぎょうう)
北海道浦幌町生まれ。1938年更別村旭小学校高等科卒業。40年肺結核で自宅療養。仏教誌『慈悲の国』により、病弱の念仏者・赤禰貞子を知る。43年北海道庁十勝支庁に勤務。49年暁烏敏に会い、明達寺に入り得度。54年『暁烏敏全集』編集担当。56年肺結核再発、左肺上葉切除。63年結婚。69年明達寺を出て放浪。70年小豆島に住み、四軒長屋の片隅を借りて「具足舎」と名づける。80年札幌市に移住。98年石川県鳥越村のケアハウスに入る。2001年能美市鍋谷町に移る。07年3月仏教伝道文化賞受賞。
2007年4月29日84歳にて還浄。

主要著書
『三味線婆ちゃん』『もしよきひとにあわざれば』『むなしさをこえる』(以上東本願寺出版部)『念仏総長暁烏敏』『開けて悔しき玉手箱』『北の大地に念仏の華ひらく』『人間死ねば仏になる』『生死を超える道』『帰依処のあれば』(以上具足舎)『それで死んでも悔いなかろう―私の出遇った暁烏先生―』『賜る願い限りなく―暁烏先生に愛された田舎の人びと―』(以上北國新聞社)他多数

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